キリスト教が日本に伝えられるのは1549年8月に鹿児島出身の日本人
アンジローに伴われて、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した
のが最初とされています。ザビエルは早速鹿児島で布教活動を行ない
ますが、仏教徒の反感にあい成果があがりませんでした。
翌1550年9月にポルトガル船が平戸に入港したのを聞いたザビエルは
鹿児島布教をあきらめトーレス、フェルナンデス、日本人ベルナルド
らを伴って平戸に来ました。この時ポルトガル人たちは、祝砲を撃ち
満艦飾を施し、ラッパを吹いて祝賀の意を尽くしています。
ザビエルは時の領主松浦隆信(道可)に謁見し、即座に布教の許可
を得て平戸での布教を行っています。平戸では20日の間に鹿児島での
一年に相当する以上の信者を得たといいます。ザビエルは都で布教す
るため、トーレスに平戸を任せて、フェルナンデス、ベルナルドらを
伴って10月下旬都へと旅立ちます。
途中山口で領主大内義隆に謁見して都へ向いましたが、都は応仁の
乱後の戦渦に荒廃し布教どころではありませんでした。ザビエルは時
の実力者は大内氏であると実感し、山口を活動の場と考えました。山
口では二ヶ月の内に500名の信者が出来たといいます。しかし最初
は好意的だった仏教徒たちも、ザビエル一行の仏教に対する批判を受
け、次第に憎悪を増していきました。
そんな折り、同年九月大分の豊後に来航したポルトガル船の船長ド
ワルテ・ダ・ガマの勧めで大友宗麟に招かれたザビエルは豊後を訪れ、
好意を以て迎えられています。
ザビエルはある程度布教が順調に進むのをみて、以前からの懸案で
あったインド布教を再度見直すためにインド渡航を決意し、今後のこ
とをトルレス神父らに託して1551年11月16日豊後港から離日しました。