3 時間は、あかねが姿を消すその日の夕暮れまで遡る。 「お前、あかねのこと奪っちまえよ」 すでに日課のように土御門邸を訪問していた友雅だったが、今日はどうやら無駄足のようだった。ひとりででかけると言ったあかねは、まだ戻らないと言う。 時刻はあかねが帰って来るには早すぎる気もすれば、もうすぐ落ちてしまう日の入りを思えば遅いとも感じる。さて、いかがしたものかと思っていたところで、天真にでくわした。 お互いの性格をしてけして馴れ合うことのない天真に「ちょうどよかった」と言われて友雅は驚いた。話がある、と真顔で告げられれ直感で異世界から来た神子殿のことだろうと知る。 人気がないところへ、と天真の希望によって友雅が連れてきたのは、釣殿の奥にある松林だった。ここなら、用事のあって通り過ぎる者もいないだろう。 「………」 そしてヒトの屋敷でこんな穴場を知ってるお前はやっぱりおかしいと、ブツブツといつもの調子で話していた天真の、突然の一言に友雅も一瞬言葉を失った。 「私の聞き間違えかな」 「聞いたまんまだ」 「天真……」 今日の彼は、友雅が最もよく目にする仲間と共に居るときの、熱量の多い天真とは違うようだった。 なにかに苛立つように言葉を荒げるわけでも、のらりくらりと話す友雅にペースを崩されてケンカを売ってくるわけでもない。 ただ何かを決心した瞳を自分からそらさない天真に、ため息と共に友雅は髪を掻き上げた。どうやらこちらも真剣な態度で望まねばいけないらしい。 「一体なにがどうして先ほどの発言になったのか、そのいきさつを説明してくれないか。どうもお前の発言は端的すぎるよ」 「いきさつっつってもな……」 ばりばりと頭を乱暴にかいて、天真は顔をしかめた。 「アイツ……あかねのヤツ、もうずいぶん前からおかしいだろ」 「………」 気づいてないとはいわせないと言う天真に、友雅は微苦笑を返す。いつもの上等の狩衣を気にするでもなく、松の幹にとんと背中を預けた。 「あかねがおかしいのは、無茶しすぎてるからだとしか思えねぇんだ。こっちに来て見るあかねの姿は、オレたちの世界にいる頃に見てたあかねとは違う。わかってたくせに、あいつがほどいていく今まで自分の中で逃げてた部分と向き合うのと、オレ必死でさ…」 情けねぇ話だと、しぼりだすような声で天真は言う。 その懺悔のようにも聞こえる天真の言葉を、友雅は自分の懺悔のように聞いた。 それは同じだった。たとえ天真や詩紋のようにここに来る前の彼女を知らなくても。 あかねが導く前へと向かうことに精一杯で、あかね自身の苦しみに見て見ぬ振りをしてきたようなものだった。他の八葉も、おそらく同じだろう。 「だけど、もうほっとけねぇ。今更ムシのイイ話かもしれないが、アイツには幸せになってもらいたい。だから、アイツのあの、無理してつけてる『龍神の神子』の仮面をひっぺがしてやるヤツが必要なんだ!」 「それが、私、というわけかい?」 「ああ」 肯定する天真に、友雅は顔をしかめた。 口にしたくない事実を、どうやら言わなければならないらしい。 認めたくなかったが、だれしも感づいている、その事実を。 「・・・相手が、違いやしないかい?神子殿が想っておられる相手は―――頼久だろう」 自嘲気味に微笑んだ。ついと、扇で示す先は、武士団の棟で。 しかし、天真が紡いだ言葉は完全に友雅の予測しないものだった。 「アイツは……頼久はだめだ」 「は……」 冗談だろうとも言えない真剣な天真の口調に、友雅は返す言葉もなく困惑した。 いつもなら滑るようにでてくる言葉も、うまく口をついてくれない。 とりあえず絡まったままの思考を無理に解きほぐそうと、頭を軽く降りながら額を押さえる。 「頼久との間の溝は、とうに埋まったと思っていたけれど?」 まさかお前の口からそんな言葉を今更聞くとはねと、やっと言えた言葉はつまらない確認事項のようなものでしかない。 しかし天真は、無理にいつもの調子を取り戻そうとする友雅の軽い口調にものってこない。律儀に、彼の言葉に応えた。 「ああ、そんなものはとっくにねぇよ。あいつは大事なダチだ。短いつきあいだが、頼久の事はたいていわかってるつもりだ」 「では、なぜ?」 「わかってるからだ。頼久には今のあかねを救うことは出来ない。……あいつは、なんでも受け入れちまうから。懐が深すぎるっつーのか妙に忍耐ってやつに強すぎるからかはしらねぇが、そんな頼久に、今のあかねを幸せに出来ると思うか?頼久は、きっと無理をするあかねも、そして壊れちまったあかねも!……ただ受け入れて、そんなあかねを包むように愛することしかできねぇよ」 「天真……」 ずいぶんと子供だと思っていた目の前の青年の口からついた言葉はあまりに真理で、友雅は純粋に驚いた。 まっすぐに人を射るように見る目は、最近とみに輝きを増したものだ。それが見抜いた真実にあらがうすべを、友雅は持たなかった。 「オレは、それがいけねぇとは言わない。頼久のそんな度量の深さは、アイツの良いところでもあるんだ。……ただ、それがあかねには向かない。それだけの話だ」 言葉の最後は、吐息に混じった。 もどかしさと寂しさのない交ぜになった、複雑な色をした顔をする。うまくいかない現実を考え、そのたどり着いた己の結末に未だと納得は得ていないのだろう。 「そこまで言うんだったら、神子殿の仮面を剥がす役目をなぜ自分でかってでない?」 そうまで神子殿のことを想っているのなら、と友雅が問いかければ苦笑された。 「オレはアイツの身内で十分だよ。可哀相だろ?仲間の誰からも惚れた惚れたって言われたら、あかねは息つく場所もねぇ。 ……それに正直、オレはあかねの作った笑顔の仮面を剥がせるのかどうか、疑問に思っちまったんだ。一度でも自信が持てなかったオレが、それを実行できるわけがねぇ」 「そこまで追い込むのかい、自分を」 「ああ、当然だ。変にちょっかいかけてあかねの心労増やすくれぇなら、オレはさっさと身を引くぜ。それくらいに、あかねの事は大事なんだ」 「……では、何故私を選んだんだい」 揶揄のかけらもない友雅の声とは逆に、天真は友雅をからかうように笑った。ちょい、と馬鹿にするように友雅を指さして、とんと胸の辺りをつく。 「お前が、一番、あかねにイカレちまってるからさ」 「……参ったね」 一言呟いて、友雅は天を仰いだ。そう言われれば、のらりくらりとかわすことも出来ない。 あかねに心奪われている自分を否定する自分など、とうの昔に友雅の中から消えてしまっていたのだから。 「しかしお前からそんなに篤い信頼を得ているとは、今まで気づかなかったのだけれど?」 「でっ!」 手にしていた扇で、しかえしにこつりと天真の額をついた。 と、大げさに天真はうめいて、なにすんだっと声を荒げながら両手で額を覆う。 「ったく!確かにオレとお前はウマがあわねぇ!そりゃー仕方ネェだろうがっ!だがなぁこれだけは覚えとけっ!お前のことは仲間として信頼してるんだ!わかったか!」 「ハイハイ。まったくそうがなるんじゃないよ、暑苦しいねぇ」 ぎゃんぎゃんとわめく天真に顔をしかめながらぺしぺしと扇でその頭をはたく。その友雅の行動にわなわなと肩をふるわせた天真は、 「だがお前のそーゆー所は絶対に評価しねぇがな!」 「別にかまないよ、私は」 「〜〜〜〜〜〜!もういいっ、話は済んだオレは行くぞ!」 じゃあなっ!と、怒りのオーラを振りまきながら立ち去る天真の背中に、声をかけたのは友雅だった。 「私も、君の信頼を裏切る行為はしないつもりだよ」 「……ああ、わかってる」 立ち止まって天真もそれだけ友雅に答えると、降り積もった松の枝を蹴散らして駆けていってしまった。 すぐに見えなくなる背中から、なぜか目を離せない。 しばらくそうしたあと、友雅はぐったりと松の幹に身を預ける。 空は既に薄い紫色に変化し、それはほんの少しの間に身の内にたまったらしいつかみ所のない不安を、さらにかき立てた。 「神子殿、君の見ている空は私と同じ色をしているかい?」 相手の傍にいない呼びかけは意味のない言葉だと知りつつも、友雅の唇からこぼれでる。 「ねぇ、神子殿……君は本当に望むのだろうか」 ぐいと掻き上げた髪の下から現れた友雅の瞳は、如実に心を現して。 「……変化という名の、新たな苦しみを」 ■ その夜。 月のない夜に、友雅はひどくけだるげな様子で漆黒の闇を見つめながら杯を傾ける。 あかねに出会ってからめっきり回数の減った、『夜の花』を愛でに行く気にも今日はさらさらなれない。 「酔えない、か」 傍仕えの美しい女房に酒を注がせる気にもならず、ひとり自室で月のない空を眺める。星の瞬きがちりちりと焦げるように見えるのは、それほど心に余裕がないからなのか。 頭から離れることのない天真の言葉に、自嘲気味に友雅は口を歪める。 奪いたいと思う。さらってしまえるのならいっそこの腕の中に閉じこめて、他の男のことなど考えさせないものを、と。 しかし、あかねへの愛しさはそんな傲慢な彼の愛し方すら歪めていた。 傷つけたくない。彼女から、あの微笑みを奪いたくない。―――ただそれだけを心から願う想いがあるなど、友雅自身知らなかった。 こんな、慈しむような気持ちの形があることを。 「……?」 がたんっと、門の辺りで激しい物音がした。 無粋な輩でも飛び行って来たかと思えば、一気に館の中がざわつく。 しかし、野党のたぐいではないのか、ざわつきこそすれ悲鳴や怒号は一向に友雅の耳には届かない。 さすがに疑問に思い、やれやれと友雅が腰を上げた、その時だった。 なじみの女房が、らしくもなく足音も勇ましく駆け入って頭を垂れる。 「何事だい?」 「はい、御室様の御使者であるという僧侶がお見えなのですが、どうしても殿に直々ではないと申し上げられないとおっしゃられて…」 「永泉様の?」 「殿!?」 女房の言葉が終わる前に、友雅は早足に門へ向かう。 永泉の名を聞いて頭に浮かんだのは、あかねの姿だった。嫌な予感が背中をざわつかせる。 「私が友雅だ。話を聞かせていただこう」 館の警護の者と押し合っていたのは、まだ年若い僧だった。 息を切らせ、必死に走ってきた様子が見て取れる。 それほどまでの大事なのかと、友雅は血の気が引く思いがする。 「はいっ!永泉様よりの御伝言をお伝えいたします。神子様の様子がおかしい、夜目の利く馬で迎えに来ていただきたいと、できれば、こちらで一晩神子様を休ませたいと…」 「……私が行こう」 答えた声は、自分でも驚くほどに冷えたものだった。 さっと顔を凍てつかせた僧にかまわず、場所を聞き出し馬を駆った。 月明かりすらない闇夜。 足下の見えぬ中を駆け抜ける恐怖よりも、たった今あかねに起こっているなにかへの緊張で心臓が早鐘のように鳴った。 「ちっ」 こんな時まで、天真の言葉が耳によみがえって友雅は舌打ちをする。 『あかねこと、奪っちまえよ』 僧が示した桂川までの距離が、こんなにももどかしく遠いものだとは。 闇に混じってまとわりつく不穏な気配を振り払うように、友雅は馬に拍車をかけた。 先の見えぬ暗黒に、まるで呑まれていくような感覚を覚えながら。 「永泉様、神子殿!」 桂川のほとり、小道の脇のほのかな灯りは、永泉らを先導してきたかすかな灯火。 その淡い光すら、闇の中で二人の姿を浮かび上がらせるのには十分だった。 足場の悪い河原にまで馬で乗り付け、ひらりとその身を大地へと踊らせる。 「友雅殿…」 すくと立ち上がった永泉の傍で、ちいさく丸くなってうずくまるあかねの背が、小刻みに震えていることに友雅は気づいた。 濡れそぼった服。馬の荒い息づかいにかき消されがちだったが、かすかに耳に届くのは間違いなく嗚咽。 なにがあったのか、と永泉に問えば、彼もわからないと首を横に振るばかりだった。 「おつとめの帰りにこの傍を通りましたら、神子が川に入られていて…。悪い夢を見て眠れなかったための気晴らしだとおっしゃるのですが…」 あのように、とあかねを見る視線はひどく困惑していた。 「ずっと、泣いておられるのです。そして、土御門邸には今日は戻りたくないと…」 「そう、でしたか…」 友雅の言いようのない不安は、増すばかりだった。 (ひとりでこの深夜に川へ入っただと?) まるで入水自殺じゃないかと思い至り、知らずに眉間に力が入る。 その気持ちを無理に押さえ込み、そっとあかねのそばへ近寄って片膝をついた。 じっとりと濡れたその姿は、あきらかに水浴び程度のものではない。 じゃり、となるその音に、びくりとあかねの体が震える。 「神子殿…?」 可能な限り優しく声をかけると、緩慢な動きであかねは顔を上げた。 泣きすぎてしゃくりあげる苦しそうな呼吸で、ぼうっと友雅を見上げた。 「と、もまささ…?」 「ああ、そうだよ。大丈夫かい…?」 涙を拭うように頬に触れると、一瞬顔をしかめるように何かを堪えた顔をしたあかねが、どんと友雅の胸に飛び込んできた。 その背に、怯えぬようにそっと手を這わせる。少しでも落ち着くように背をさすれば、しかしよけいにあかねの涙は増すばかりだった。 「ごめ、なさっ…しっ、しんぱいかけっ…」 「ああ、いいんだよ。気にするほどのことじゃない」 「うっ……きょ、はっ……っく、かえりたくな…で、すっ」 「わかったよ。大丈夫だから…」 「かえりたく…なっ…」 「大丈夫…」 大丈夫だと、何度も繰り返してその背を撫でる。 着物の胸元を、必死に掴むあかねの苦しみが心に刺さる。 あかねの水に濡れた着物の冷ややかさが伝わるたび、愛しさと切なさが胸に溢れて仕方がなかった。 自分のぬくもりの全てを捧げようとするかのように、あかねを胸にかき抱いた。 「安心しなさい。こんな姿の貴方を、このまま放って置くことなど出来ないのだから」 こくんと小さくうなずくあかねにとりあえずほっとした頃、ようやく闇の向こうから自分と永泉を探す者達の声が聞こえた。 「どうぞお行きになってください。……友雅殿にすべておまかせいたします」 「申し訳ありません。……永泉様、今夜のことは」 「わかっております。他言いたしません……むろん、星の姫にも」 「助かります」 短く答え、あかねの横抱きに抱えて立ち上がる。 馬へ向かう途中、まってとあかねが声を上げる。歩みを止めると、友雅の腕に抱かれたままだったが、確かに永泉の方を見ている。 「永泉さ……ご、めんなさ…っ……りが、と…」 「いいえ、礼には及びません。どうぞごゆっくり、お休みになられてください」 内心はきっとあかねの涙を止めることの出来なかった自分を悔いていることだろうに、微笑みを投げかける永泉を見て、強くなったと友雅は思う。 おそらく、ここから一番屋敷の近い八葉に連絡をつけただけであろうが、自分を選んでくれた永泉に友雅は感謝をする。あかねの負担にならないように頭を下げ、乗ってきた馬にあかねを先に乗せて、その後ろに自分もまたがった。 「では永泉様、御前を失礼いたします」 「神子を、頼みました」 「は」 答えると同時に馬の腹を蹴る。 あかねが落ちないように、背中からその腰を片腕でしっかりと抱いた。 何故かその時友雅は、しっかりと実体のあるあかねであるはずなのに、まるで霞を抱いているような気がしていた。 ほんの少しでも力を抜けば、夢のようにふわりと闇夜へ、消えてしまうような。 <続> |
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