●「田主丸だより」2003年A 5月号● | ||||||
「私の少女の頃は、まるでハイジのような生活だったんですよ。」昔、この近所に住んでいたという素敵な姉妹が工房にやって来て話を始めました。 それは多分40年くらい昔の話ですが、僕は思わずその話に引き込まれたのでした。住んでいたのは今の『巨峰ワイン工場』のあたり。お父さんは牛や羊を飼う酪農家でした。土地を切り開いて、水道も無かったので、沢に枡を作って竹の筒で家まで水を引いていたそうです。 「牛の乳を搾ると、その枡の中に牛乳の入った容器を入れて冷やしたんだけど、ある日その容器が破れて水と混ざってね。お風呂に水を入れると牛乳風呂になったの。羊の毛を刈って、毛糸にしてその糸を染めてセーターを編んだりしてたのよ。」そんな生活が現実にあったのか・・。現在はもうこの耳納山麓で酪農をしているところはありません。けれど、田主丸の歴史にこの酪農がとても重要な役割を果たしていたのです。巨峰発祥の歴史です。 戦後、のちに国連大学の総長になった駐留アメリカ軍のJ.M.へスターさんが、この地に酪農を推奨して(牛を貨車で運んできた!)酪農が始まりました。彼女たちのお父さんもその一人。その後、林田博行さん(若竹屋酒造場12代蔵元)の招聘でこの肥沃な土地に越智先生を所長とした九州理農研究所が設立、巨峰の研究と本格的な栽培が始まったのでした。 彼女たちは、まさにその歴史の中で生活していたのでした。「若い研究所員の人たちが、熱心に栽培の研究をしていましたよ。当時の巨峰はものすごく大きかった。」僕は偶然にもその生き証人のような姉妹に会えて、ちょっと感動しました。
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