●「田主丸だより」2003年B 6月号●

一番上の娘は助産院で、下の子供二人は自宅で生まれました。人は海の潮が満ちるときに生まれ、潮が引くときに死んでいくのが自然であれば、薬剤や人の手で引っ張り出すのは自然ではないと思っていたからです。

はじめは産婆さんを探しました。「昔はおったばってん・・」と近所の人は言いましたが、見つからず、電話帳で探してもいない。しかし助産院という存在を知って、少し遠方でしたがしばらく通いました。ここで良かった事は、ただ受け身で『診察』を受けるのではなく、粗食にする(もともとが粗食だったが)とか毎日散歩する・お灸をするなどなど自然に生むための智恵や工夫のしかたを教えてもらうような感じだった事です。「自分で努力する気がなければ、産婦人科に換えたら?」こう言い放つような助産婦さんたちでした。妊婦だからといってちやほやしないのが良かったのです。

当時のお産のプロセスについて書いていると紙面が足りないので省略しますが、その時の助産婦さんの中で同年代のさっぱりした感じの女性と仲良くなり、数ヵ月後に工房に遊びに来ました。「今は一人で自宅出産(の助産婦)をやっている。」それなら次は彼女に頼んで家で生もうと決めました。

2番目子供のときは、生まれるときに彼女が来るのがほんの少し遅れて僕が取り上げました。月がきれいな夜明け前でした。事前に「もし私が間に合わなかったときは、これこれこういう風に・・・」と処置は聞いていたのでどうにかなりました。本当に間に合わないことがあるとは思ってもいなかった。

3番目のときは僕がさんざん「この前は間に合わなかったもんなぁ・・」とぶつぶつ言って、彼女を責め立てたので、早めに来てくれました。早すぎたので、みんなでプールに遊びに行ったりして生まれるのを待ちました。こんな事は通常考えられないですよね。だからとても良い思い出になりました。

一番上の娘(当時4歳)は3番目のお産のときは深夜までずっと付き合って、母親を励まし、生まれる瞬間もしっかり見ていたので、きっと彼女は一生忘れないでしょう。

現在、自宅出産というのは全体のお産うちの1%だそうです。これを多いか少ないかの判断は別として、僕の知り合いは結構経験しています。助産院の婦長さんは、妻が退院するときに「自然に生むことを経験して女性は変わるし、世の中も絶対変わっていく。」と言っていたのが印象的でした。
確かに妻は変わったような気がします。僕も目の前に見える世界が少し変わって、やはり子供たちの未来や地球環境、そして今住んでいる近くの小さな川の流れや山の緑の存在について結構まじめに考えるようになりました。

5月には手製のこいのぼりが
空を舞う。
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読み物 自宅出産の話   ●自宅で出産を1
●自宅で出産を2
●自宅で出産を3
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