●「田主丸だより」2003年H 12月号●

以前にも書いたと思いますが僕の心に残っている原風景は、少年の頃に川に釣りに行ったときの周りの風景ですね。それは一つではなくていろんな場所の記憶があります。特に小学生の頃は休みのたびどころか、授業が終わってから釣り道具を担いで自転車に飛び乗って1時間くらいはかかる川まで行っていた時期もありました。何度か道に迷って家に帰れなくなって、親に叱られたことも。それも今では良い思い出ですが。

東京に住んでいたくせに、とにかく川の記憶だけは不思議と残っています。多摩川という川によく行ってました。とにかく自転車で行ける所まで行って一日川で過ごしたようなもんです。魚が取れれば何でもいいんです。網ですくおうが、餌もつけずに針で引っ掛けようが、魚の姿さえ見れれば。

しかし、毎年決まった場所に行ってみると、川がだんだん汚染されていくのを体で感じていました。水が濁って石の表面に灰色の綿のようなものが付いてくると、魚の餌になる川虫がいなくなって、魚の種類が変わってきます。中流域が下流域に変わるのを見たことがあります。前の年までうんざりするほど釣れた場所で急にその年には魚の影が一匹も見えなくなったこともありました。これは少年の心に影を落しましたね。きれいな川のきれいな魚を求めて、少年は毎年だんだん上流まで自転車で足を伸ばしていったのでした。(そして電車に切り替えた。)初めの頃に行った場所は今では絶望的でしょう。

川が好きなので、エッセイストの野田知佑氏の文章が好きです。"人が川の方を向いて生活している所はいいが、川に背を向けて生活するようになったらその川はおしまいだ"というようなことを書いていた本があり、とても納得。歌手の平田達彦氏は『河童の歌』という歌の中で、川や人のココロが汚れているのを嘆いていたなぁ。

田主丸はどうか?やはりさすが河童の王国です。田主丸河童族が毎年8月8日に河童大明神を祭る"河童祭り"をやって、参加者は大人も子供もみんな一日川の中に入って過ごす楽しい行事をやっています。今年の9月には耳納塾が『水辺の教室』と題して、巨瀬川の魚の観察会をしていたので、たまらずに子供や友人と参加してみんなパンツまで濡れて川の中で魚を追い回したのでした。

この町では今も人々が川の方を向いて生活しているようです。しかし『水辺の教室』では巨瀬川の数種類の魚が数が激減しているという事がわかりました。それもきれいな水を好む魚から順に・・。

もう少年ではなく中年になりましたが、当時の"心に影を落した"記憶が再び蘇りました。一体どうしたら田主丸の子供たちの原風景が変わらずに残るのだろうか?
"魚がいなくなったって誰も困らない"というのは"川に背を向けて生活する"人の考えです。年をとっても"河童はまだいるぞ"と言えるような少年の心を持ち続けたいな。

川に架かる橋のあちこちに
河童が見られる。
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平田達彦氏の日本晴レコードから発売されたアルバム
田主丸河童族について
耳納塾の『水辺の教室』 ⇒ 筑後川物語「AQUA」 Vol.04 特集 中流域の記述

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