近所の仲のいい農家のYさんから電話。
「倉庫ば整理して、古米(と言っても昨年収穫したもの)の30Kgばかり出てきたばってん、要るの?」
断る理由はない。
「要る要る〜。」
前にリクエストしていた稲ワラも軽トラックに積んで、すぐに持ってきてくれた。
このところ息子のしんべえの食欲はすさまじく、一日5食。
大人の茶碗で軽く2杯は食べる。(しかも納豆メシ。)
朝、布団から出るといきなり納豆メシに喰らいつく。
従って、主食の確保は何よりも優先される。
昔友人が少しお金が足りないときに、
「手元に現金はないが、この米俵と積み上げた薪を見よ。」
と言って奥さんをなだめた話が僕の頭から離れない。と言うより、その発想の豊かさを見習っている。
我が家では子供に特に何かを学ばせる(幼児教育、お稽古)というようなことはしていない(嫌いなのだ。)が、食べ物に関しては粗末にするなとやかましく言う。
ひどくやかましく言う。
「ご飯を残すな。」
「こぼすな。」
「拾って食べなさい。」
「米粒を一粒も残したらいかん!」怒!怒!! なのだ。
こんな時にYさんの存在は貴重だ。
「Yさんが心を込めて作ったお米を残したら絶対許さん!」
ほんとに米を作っている人が身近にいるとこの言葉に説得力がある。
姉ちゃんのひか坊は保育園児なので、こっちの言うことはほとんど理解しているので、こぼしたら拾う。
しんべえの方はまだ訳がわからないので、茶碗をぶちまけたり体中に米粒をひっつけているが、それでも集めて勝手に食べる。
こんな場面を時々わが工房に来るお客さんに見られることがある。
と言うよりも、こぼした食べ物を拾って口に入れている場面を。
「あ〜、汚い。おなかこわすよ。」
「いいのいいの。いつもの事だから。」
「え゛〜?」
子供は意外と頑丈に出来ているのである。これでおなかをこわしたことはない。
ともあれ、大きな米袋いっぱいの米を手に入れて、
我が家はなんだかとても幸せな気分なのだ。
残さずに食べよう。
●参考図書 この大いなる残飯よ! 山下惣一著 ←僕の大好きな自称”農民作家”
2002.07.03 |
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