随分カタ苦しいタイトルだけど、前回の話のついでにまだ書き足りない部分があったので補足したい。
いつもと違って、かなりまじめな環境とエネルギーについての話。
隣の大分県の別府は竹細工が有名な所だけど、昔は無数にかごなどを編む人がいたが、今はそんな職人さんたちも減って、輸入業者が多くなっている現実は悲しい。時代の流れでそうせざるを得ない状況だったのであろうが・・。でもやはり確実に手仕事を貫いている人たちも僅かながら残っている。そんな手仕事の品物には重みがある。僕も是非こちら側に位置したい。
確かに似たような品物で、外国で作って輸入してきたものは安い。信じられないくらいの値札が貼り付けられている事もある。しかしそこに、明白な出所や安全性(特に食べ物の場合は、農薬などの化学物質の使用・遺伝子組み換えなどの表示)は存在しない。それ以上に、その製品を船や飛行機で運ぶ・・そのエネルギー(燃料)はどうなるんだ?・・・というのが実は最大の問題だと思う。
値段や生産コストが安くても、莫大な燃料を使って外国から運んでくるものは、エネルギー(石油などの燃料)的な視点から見ると結果的に無駄ではないのだろうか?どう考えても国内で作ったものの方がエネルギー的視点では環境に負荷がかからないはず。資源の無駄にもならない。竹なんか日本国中にうんざりするほど生えているのに・・。
景気が停滞している今の世の中では、なかなかそうも言っていられないが、エネルギー的視点で商品を見る目を身に付ける時代ではないかと思う。
食べ物の話まで広げると、米は輸入するべきでないと思う。もちろん先述のエネルギー的視点の理由と、もう一つ。輸入している先の国が「もう日本に輸出しない。」と言ったら、日本国内に米がなくなるという事態もありうる。この話は国家の存続に関わる問題だから、安ければいいという視点は短絡的だ。主食の自給率を高めることは、国家の戦略として日本以外の国では常識なのだ。
ワールドウオッチ研究所は、世界規模で砂漠化・人口増加が続いている現状では、食料は必ず不足するという予測を立てている。研究所長のレスター・R・ブラウン氏は10数年前の著書『持続可能な農業』の中ですでにこの予測を立て警告していた。食べ物が不自由なく手に入る今の日本では見えにくい部分だけれど、それはただ分配が偏っているだけなのである。分配が日本に来なくなった時どうするのだろう?
戦争は反対。しかし資源の浪費・分配の不公平が戦争を生み出しているのも事実。まずは、自分の足元の生活から見直してみたい。
レスターブラウン氏の最近の著書
レビューを見るとその内容が素晴らしい事がわかると思います。
2003.03.24 |
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