●「田主丸だより」2003年@ ぴーぷる4月号●

ある日、僕のカミさんと保育園に通う5歳の娘『ひかぼう』がしりとりをしているのをちょっと聞いていた。おもしろかったので、少し書き出してみます。
熊→薪 リス→炭 牛→七輪 すみれ→練炭 鹿→からすうり つくし→しもやけ

さて、どちらがカミさんでどちらが『ひかぼう』のせりふでしょうか?
『薪・炭・七輪・・』の後者がひかぼう・・。古いなぁ〜。あんたいつの時代の子供だ。と言いながら、僕は「ん〜。さすが我が家の子供」と思ってしまった。

自己紹介します。僕は田主丸町で竹炭を焼いています。東京で生まれ育って農薬の研究なんかの仕事をしていたけれど辞めて、この町に越して来て竹炭を焼き始めて工房を開いてかれこれ8年。『自然の中で自然な暮らしをしたい。』と昔から心の中にありました。細かいことは省略しますが、それを少しずつ現実にのものにしてきた結果が前述のひかぼうのしりとりの言葉だと思います。現在家族5人。ひかぼうを先頭に野生児3人を抱えて仕事と子育てに格闘しています。
この1年間このコーナーを担当します。よろしくお付き合いください。

工房は田主丸町の耳納連山の麓の『山苞の道』というところにあります。柿やぶどうの畑が広がる見晴らしの良い高台で、木工・陶芸・ギャラリーなどの見所も沢山点在します。
山苞の道の由来等 ここのサイトが詳しいです⇒みのう豆本

ここで忘れかけた昔の記憶をたどってみます。カミさんには「田舎暮らしをする。どこで何をするかもわからない。それでもよいか?」と言って、無理やり「いいよ。」と言わせて、場所探しをして、ここに決まってから結婚しました。ほとんどお金も持っていなかったし、今思うとかなり無茶苦茶な話ですが・・。

でもその頃は若くて馬力もあったので、不思議と熱意が人に伝わり、借りる家も決まりなんとか生活できるくらいになり、そしていろいろな形で協力してくれる人たちが次々と現れて現在に至ります。

今原稿を書いている時点ではまだ春はもう少し先かなぁ・・という季節ですが、部屋の中では薪ストーブの炎が揺らめき、七輪で魚を焼いてという生活です。浮世離れしていると思うかもしれませんが、僅か50年ほど前はそんな暮らしが当たり前だったと思います。
ちなみにテレビはありません。新聞もとっていない。先述のひかぼうのしりとりが我が家の生活の現実です。でもさほど不便も感じないし、今はパソコンがあるので必要な情報はほとんどネット上で探しています。

モノやお金は少し足りないくらいの方が、人は心豊かに生活できるのかもしれません。

春になって耳納連山が呼んでいる
次号へ
福岡県の筑後地方の情報誌 ⇒ 

Copyright 2003.
Wani all rights reserved
.
著作・デザイン等の無断複製・転写を禁じます。

前のページへ戻る