●「田主丸だより」2003年F 10月号●

以前7月号で絶滅危惧種の淡水魚ヒナモロコの話題で『石組みの水路』について書きました。その頃、山苞の会では『最近この近くの小川がコンクリートの三面側溝で固められている。石組みの水路の美しいせせらぎが失われるかもしれない。』という話題が持ち上がっていました。早速その地域の会員が周辺の住民と役場に交渉して、『防災上問題のある必要部分は工事をするが、それ以外で下草刈りなど山苞の会が管理するならよい。』という答えを引き出してきました。

これは正直言って驚きでした。当初、僕はどうせ無理な話だろうと諦め半分、でもどうにかならないだろうかという期待も半分でしたから・・。決定するとすぐ行動に移すのもこの会の良いところで、7月のある日曜日に集合して下草刈りとやたらと枝葉が伸びてうっそうとしている小川の斜面の剪定作業を実行しました。どうあっても参加したかったので、いろいろな予定をやりくりして現場へ向かいました。参加者はそう多くないと思って行きましたが、最終的に全会員の3分の2くらいが来ていたのが驚きでした。

汗だくで延びたつるを切り、下草を払い、あるいは川面に伸びた木の枝を切るなどの作業する中、『このアカメガシワという木は成長が早いから、昔はこの葉を集めて堆肥にして畑の肥料にしていたんですよ・・』樹木に詳しい会員が説明をする。あるいは、どういう樹種を切るのか残すべきか話し合ったり、なかなか格調高い集まりでもあるのです。

しかしこれだけの人数をもって、全長約500m程の斜面を全て切り開くのは無理でした。早くも『俺たち会員が高齢化した後はどうなるだろうか?』などという会話も聞こえました。とりあえず200mほどが出来たでしょうか?しかし見違えるほど美しい景色が視界いっぱいに広がりました。残りはまた次回集まることになりました。

自然を残そう、里山の保全だと理想論を唱えるのは簡単です。でもこれから先高齢化する中でこういった下草刈りなどの作業を 地域住民や地権者が維持・管理するのは現実的に難しくなっています。だからと言って日本中の小さな小川がただの”溝”になったとしたら、嘆くのは都会に住む人や、故郷を離れた人たちですね。里山・田園といった日本の風景は自然に人間が手を加えて出来た調和の産物です。だから手を入れなくなったとたんに荒地のようになってしまいます。ある意味で”癒し”などといった生ぬるいはやり言葉とは次元の違う話です。僕はその自然の渦中に存在することを選択しています。だから喜んで続けたいと思っています。今回の作業で山苞の会員のほとんどがそう思っているのだと思いました。

秋の稲穂の金色の波や山の麓にたなびく煙・・自然と人間の営みがあってこの山苞の道は存在しているのだと思います。

土手の伸び放題だった草や木の
枝を整理している会員の図。
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