●「田主丸だより」2004年J 2月号●

スローフードって響きのいい言葉ですね。概念としては僕も昔からこれを目指してきたんだと思いますが、最近いろいろなところで見聞きするうちに、やっぱりただ商売のネタとして氾濫してしまったように思います。言葉だけが先行して中身はあまり無いと言ってしまったら言い過ぎでしょうか?

自分で作るプロセスとそれを楽しむ時間・空間もスローフードだと考えるとどうでしょう? なにも食べ物を自分で育てるとか、"無農薬""こだわり"のものでなくても、チョッと工夫したり足を伸ばせばスローフード・スローライフ的なものが楽しめます。

例えば筑後川の土手で菜の花やつくしを摘んで、料理するのはどうでしょう?そういえば学生時代に研究室で(理系の学校だったので)おなかを空かせて、実習農場に生えていた菜の花を摘んで料理して食べた時に、なんとも幸せな気分になったことを思い出します。そう、実感として"スロー"な気分になればいいんです。

筑後川というともう一つ楽しみがあって、土手に野生の大根が時々あるんです。ただ、おろして食べるだけのですが、市販のものと違ってものすごく辛くて野生の味がします。何か雑草のように見えるものでも、天ぷらにすればたいていのものは食べれることもわかりました。こんな発見も"スロー"な気分になります。

田主丸に住んでからは味噌は自家製になりました。冬になると、薪ストーブが我が家の暖房器具なので、その上で芋を焼いたりパンを焼いたり(ご飯も炊ける!)するのが楽しみです。そうそう、この冬は渋柿を沢山もらったので『干し柿』を大量に作りました。軒先に沢山の柿が吊るしてあるのはなんとも日本的な冬の情緒があっていいです。

自給自足とまではいきませんが、かなり本格的なスローフードらしきものといえば、米・ソバを仲間と一緒に作っています。いずれも手植え・手刈り・掛け干しと気合が入っていますので、収穫したものを食べる時はやはり天の恵み、自然の恵みなどとお題目を唱えてありがたく食べます。本当においしいなぁと思うし、子供たちにも一連の作業に参加させているので"お前ら自分たちで作った米なんだから、一粒も落したり残したりしたら許さん!"と、堂々と言えます。

お客さんの中には、意外と全国いろいろなところからやって来ていることがわかって、鹿児島の人には『あくまき』、青森から嫁いで来た人には『きりたんぽ』をうちで教えてもらいながらパーティーをしたことがあります。そこそこに伝統的な知恵と工夫が積み重ねられた料理があるんだなぁと感心します。結局、日本に昔から伝わっているものこそ本当のスローフードなのではないでしょうか? 偉い人が"これはスローフードだ"と認定するようなモノでもないと思うんだけど・・。

僕はここで居ながらにして、何故かいろいろな所の食べ物や土地の話を聞けるのです。こんなのもスローライフですね。

干し柿を吊るしたところです
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